異常ホール効果の超高速変化を10兆分の1秒の時間で観測することに成功 ―ミクロなメカニズムを解明する新手法を開拓―
東京大学
科学技術振興機構(JST)
発表のポイント
- 磁性体特有の現象である異常ホール効果に注目し、光パルスを当てた直後に生じる超高速変化を10兆分の1秒の時間で観測することに初めて成功した。
- 異常ホール効果は一般にトポロジカルな性質に由来するか、不純物に由来するかのいずれかであり、それを異常ホール効果の超高速変化から判別可能であることを示した。
- 本研究成果は、磁気記録媒体での情報の書き込みと読み出し速度の限界を決めるメカニズムを明らかにするものとしても注目される。
発表概要
東京大学物性研究所の松田拓也 特別研究員(日本学術振興会特別研究員(PD))と同大学物性研究所の松永隆佑 准教授らの研究グループおよび同大学大学院理学系研究科物理学専攻の中辻知 教授、肥後友也 特任准教授らのグループは、東北大学理学研究科物理学専攻の是常隆 准教授および東京大学低温科学研究センターの島野亮 教授らの研究グループと協力して、磁性体に光を当てたときに異常ホール効果(注1)が超高速に変化する様子を10兆分の1秒の時間スケールで観測することに初めて成功し、その変化からミクロなメカニズムを解明できることを示しました。
磁性体に電場をかけると、電場と平行方向だけでなく垂直方向にも電流が生じることが知られています。これは異常ホール効果と呼ばれ、通常の電気伝導と違ってエネルギー損失のない無散逸電流が生じるなどの興味深い特徴があります。近年では物質が持つトポロジカルな性質(注2)とも深く関連することが明らかになり、異常ホール効果は一層大きな注目を集めています。一方で、不純物によって電子が散乱されることに起因する異常ホール効果も存在するため、異常ホール効果が観測されるたびにそのミクロなメカニズムがどちらに由来するものなのかが必ず議論の対象になっています。
本研究では、トポロジカル磁性体に対して非常に短い光パルスを照射し、それによって生じる異常ホール効果の変化を10兆分の1秒の時間スケールで調べる実験を初めて実現しました。これは、物質に光が当たることでまず電子のみがエネルギーを受け取って高温状態になり、それからエネルギーが格子やスピンに行き渡る前のごくわずかな時間に異常ホール効果を測定したことに相当します。その結果、通常の電気伝導度はほぼ変化しないにもかかわらず、異常ホール効果は40%も急激に減少する様子を観測しました。この実験結果は、トポロジカルな性質が起源だとするとよく説明できる一方、不純物散乱由来だとするとまったく整合しません。つまり本研究は、光パルスを当てた直後の異常ホール効果を調べることで、ミクロなメカニズムを解明する新たな道筋を示しました。また、異常ホール効果は磁性体に埋め込まれた磁気情報を電流によって読み出す手段としても重要です。10兆分の1秒程度の時間スケールで異常ホール効果の変化のメカニズムを解明したことは、高速磁気情報処理デバイスの開発においても重要な設計指針になると考えられます。本研究成果は国際科学雑誌Physical Review Lettersの2023年3月21日付け(現地時間)オンライン版に公開されました。
発表内容
① 研究の背景
金属に電場をかけるとオームの法則に従って電場と平行な方向に電流が流れますが、外部から磁場がかかっているときには電子の軌道が曲げられ、電場と垂直な方向にも電流が流れます。これはホール効果として知られています。ただし金属が磁性を持つ場合には、外部から磁場をかけなくてもホール効果が生じます。これは異常ホール効果と呼ばれるまったく別の現象です(図1)。かつては大きな磁化を持つ強磁性体ほど大きな異常ホール効果が生じると考えられていましたが、近年では物質が持つトポロジカルな性質と異常ホール効果が深く関連することが明らかになりました。通常の電気伝導は電子の散乱によって生じ、ジュール熱を伴ってエネルギーが失われますが、トポロジカルな性質に由来する異常ホール効果は内因性異常ホール効果と呼ばれ、散乱とは無関係に起こります。そのためエネルギーを消費しない(つまり無散逸な)電流が流れるという興味深い特徴を持っています。一方で、不純物との散乱によって生じる異常ホール効果も存在しており、こちらは外因性異常ホール効果と呼ばれます。そのため異常ホール効果が観測されると、必ずその起源が内因性なのか外因性なのかが慎重に議論されることになります(注3)。
図1 ホール効果および異常ホール効果の模式図
(a)ホール効果:磁場(Bz)のもとでx方向に電場(Ex)をかけると、ローレンツ力を受けて電子の軌道が曲がり、y方向にも電流が流れる。(b)異常ホール効果:外部から磁場を掛けなくても、物質中に磁化Mzが存在する場合は、y方向にも電流が流れる。
これまでの異常ホール効果に関するほとんどの研究は、物質の性質が変化しない平衡状態で直流電流を使って調べられてきました。物質の性質が時間的に変化していく非平衡状態における研究例もわずかにありますが、時間スケールは100ピコ秒(1ピコ秒は1兆分の1秒)程度であり、それより速い時間スケールで何が起こるかはまったくの未解明でした。
② 研究内容
今回、松田特別研究員と松永准教授らは、非常に短い光パルスを磁性体に当てることで生じる異常ホール効果の超高速変化を調べる実験を行いました。このために松永准教授らは島野教授らと協力し、テラヘルツパルス(注4)を用いました。試料を透過したテラヘルツパルスの偏光回転角(注4)を精密に計測することで、異常ホール効果を0.1ピコ秒(10兆分の1秒)以下の時間分解能で計測することが可能になり、従来と比べて3桁ほど速い計測が実現されました(図2(a))。物質に光を当てた直後のこの時間帯では、物質の中の電子だけが光のエネルギーを受け取って電子の温度が瞬間的に数百ケルビン(K)まで急上昇しますが、それ以外(格子やスピン)はまだほとんど変化を受けていないという特殊な状態が現れます(図2(b))。その一瞬の間に異常ホール効果を計測することで、未解明の性質を調べることが可能になりました。
図2 研究内容の模式図
(a) 実験システムの模式図。光パルスを試料に照射し、時間差をつけてテラヘルツパルスを入射して、その偏光回転角を検出する。(b)光パルス照射後の温度変化のシミュレーション。光照射によってまず電子温度が急激に上昇し、その後で電子と格子の相互作用を通してエネルギーが移動して格子温度が上昇する。
測定試料として、トポロジカル磁性体として知られるマンガン-スズ化合物(Mn3Sn)薄膜に注目しました。Mn3Snは磁化が非常に小さい反強磁性体であるにもかかわらず、巨大な異常ホール効果が室温で現れることが中辻教授および肥後特任准教授らによって2015年に明らかにされました。そしてその性質が高速磁気情報処理デバイスの実現に向けて大きく注目されています。松田特別研究員らは、Mn3Sn薄膜に対して光パルスを照射し、その直後の電気伝導度とホール効果の変化をテラヘルツパルスで計測しました。その結果、電気伝導度はほぼ何も変化しない一方、ホール効果は0.1ピコ秒ほどの時間で急激に変化が生じ、0.5ピコ秒後には40%も減少していることを明らかにしました(図3(a)、(b))。これは、通常の電気伝導が電子の散乱によって決まるのに対し、異常ホール効果のメカニズムは本質的に異なることを示しており、外因性異常ホール効果では説明できないことがわかります。一方、この0.1ピコ秒ほどの時間スケールでは電子の温度が700 K程度まで瞬間的に加熱されていると考えられます(図2(b))。このときの内因性異常ホール効果は比較的簡単な計算から見積もることが可能であり、実験結果とよく一致しました。つまり異常ホール効果の超高速変化を調べることで、そのミクロな起源を判別可能であることが明らかになりました。
他の磁性体に対するこれまでの研究から、磁性体に光を当てると電子の温度上昇がすぐに磁化に影響を与え、磁化が高速に変化することも知られています。これは超高速消磁(注5)と呼ばれており、本研究の実験結果も一見すると電子温度上昇ではなく超高速消磁が起こったためのようにも考えられます。そこで本研究では、Mn3Snが200 Kを境に特殊な相転移を起こすことを利用して、150 Kと220 Kの両方で実験を行いました。その結果、消磁による影響が異常ホール効果に現れるには数ピコ秒程度の時間が必要であり、0.1ピコ秒程度の時間で起こる変化は電子の温度上昇によるものであることを明確に分離して示しました(図3(c))。
図3 実験結果
(a)(b)光パルス照射前後の通常の電気伝導とホール効果の違い。通常の電気伝導を表す縦伝導度(a)はほぼ変化しないが、ホール効果を表すホール伝導度は40%も変化が生じる。(c)150 Kで計測された異常ホール効果の変化の時間経過。緑と赤は照射した光パルスの強さが異なる実験結果であり、いずれの場合も同様の変化が生じることを示している。この温度のMn3Snは特異な磁気構造を持っており、スピンの温度が上昇すると、通常の「消磁」とは違って、異常ホール効果が増強する。本研究の実験結果は、光パルス照射直後に異常ホール効果がまず減少し、時間が経過してから今度は符号が変わって増強に転じた。それぞれが電子の温度の上昇と、消磁に相当する変化を表している。
③ 社会的意義・今後の予定 など
異常ホール効果を利用すると、電流によって磁気秩序の向きを読み出すことが可能です。磁気デバイスの情報処理速度を高速化するという点で、異常ホール効果の超高速変化のメカニズムを本研究で明らかにしたことは重要な結果であると考えられます。特に本研究で用いたMn3Snは、反強磁性体にもかかわらず巨大な異常ホール効果を室温で示すために、ピコ秒スケールでの高速磁気情報処理が期待されている物質です。本研究から、0.1ピコ秒程度の時間スケールの異常ホール効果は電子温度で決まり、数ピコ秒経って電子温度が下がった後の異常ホール効果は磁化の変化を反映することがわかりました。これは磁化を高速に書き換えてさらに高速に読み出すためには、電子温度の上昇を抑えることが本質的に重要であるという設計指針を示しています。
また物質の性質が高速に変化する状況下での異常ホール効果を瞬間的に計測する実験が初めて実現したことで、この手法が今後さまざまな磁性体やトポロジカル物質を対象とした実験へ波及すると考えられ、今後の非平衡物性物理学の研究に大きく寄与することが期待されます。
発表者
東京大学
物性研究所
松田 拓也(特別研究員)日本学術振興会特別研究員(PD)>
物性研究所 附属極限コヒーレント光科学研究センター
松永 隆佑(准教授)
大学院理学系研究科 物理学専攻
肥後 友也(特任准教授)東京大学物性研究所(リサーチフェロー)>
中辻 知 (教授)東京大学物性研究所(特任教授)/トランススケール量子科学国際連携研究機構(機構長)>
論文情報
- 雑誌:Physical Review Letters
- 題名:Ultrafast Dynamics of Intrinsic Anomalous Hall Effect in the Topological Antiferromagnet Mn3Sn
- 著者:Takuya Matsuda*, Tomoya Higo, Takashi Koretsune, Natsuki Kanda, Yoshua Hirai, Hanyi Peng, Takumi Matsuo, Naotaka Yoshikawa, Ryo Shimano, Satoru Nakatsuji, and Ryusuke Matsunaga* (*: 責任著者)
研究助成
本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「トポロジカル材料科学と革新的機能創出」研究領域(研究総括:村上 修一)における研究課題「トポロジカル半金属を用いたテラヘルツ高速エレクトロニクス・スピントロニクス素子開拓」課題番号 JPMJPR20LA(研究者:松永 隆佑)、未来社会創造事業「スピントロニクス光電インターフェースの基盤技術の創成」課題番号 JPMJMI20A1(代表者:中辻 知)、並びに文部科学省 科学研究費補助金 基盤研究(B)「モノサイクル高強度テラヘルツ磁場発生技術開拓とワイル磁性制御」課題番号 19H01817(研究代表者:松永 隆佑)、特別研究員奨励費「空間反転対称性の破れたワイル半金属における非線形テラヘルツ応答の解明」課題番号 21K13858(研究代表者:松田 拓也)、若手研究「テラヘルツ分光によるワイル反強磁性体の電磁応答の解明と高速制御」課題番号 20J01422(研究代表者:松田 拓也)、および基盤研究(A)「ワイル磁性体における電気磁気応答の発現機構の解明」課題番号 JP19H00650(研究代表者:中辻 知)の一環として行われました。
用語解説
- (注1)異常ホール効果
- 外部から磁場をかけることで電場と垂直方向にも電流が流れる現象は、1879年に発見したエドウィン・ホール氏の名前に由来して、ホール効果と呼ばれます。ホール氏は1881年に強磁性体でこの現象が非常に大きく生じることも発見しました。のちにこれは外部の磁場がなくても磁性体であれば生じる、まったく別の現象であることが判明し、異常ホール効果と名づけられました。
- (注2)トポロジカルな性質
- 近年、物質をその電子状態の幾何学的な性質(トポロジー)の観点から分類する研究が盛んに行われています。電子の波動関数にある種の「ねじれ」が生じているような物質では、外部から磁場をかけなくても、物質中の電子が実効的な磁場を感じて、軌道が曲がるなどの興味深い現象が現れます。この実効的な磁場はベリー曲率という名前で知られています。必ずしも磁化が大きくなくても、このトポロジカルな性質次第では巨大な異常ホール効果が発現することが最近になって知られるようになりました。
- (注3)内因性および外因性異常ホール効果
- 内因性異常ホール効果とは、物質のバンド構造から決定される異常ホール効果であり、1950年代に理論的に示されました。しかし散乱とは無関係に電流が流れるという点が当時は受け入れ難く、その代わりとして不純物との散乱に由来する外因性異常ホール効果のメカニズムが提唱されました。1990年代終盤になってようやく、内因性異常ホール効果と物質が持つトポロジーの関連性が深く理解されるようになり、どちらのメカニズムが支配的なのか物質ごとに探索されるようになりました。
- (注4)テラヘルツパルス・偏光回転角
- テラヘルツパルスとは、周波数1 THz程度(フォトンエネルギーにして4 meV程度)の光パルスを指します。通常の光と比べて周波数が非常に小さいために、直流電流による測定とほぼ同等の電気伝導を観測可能であり、それも0.1ピコ秒程度の時間分解能で瞬間的に観測できるというメリットがあります。通常は電場と平行な方向に流れる電流が調べられますが、試料を透過したテラヘルツパルスの偏光回転角を精密に計測することで、ホール効果を測定することも可能です。偏光が回転する現象そのものはファラデー回転と呼ばれます。
- (注5)超高速消磁
- 磁性体に光を当てることで磁化がどう変化するかを調べる研究は、これまでに数多く行われています。例えば磁気光学カー効果を計測すると磁化の大きさがわかることを利用して、強い光を磁性体に当てた直後に磁気光学カー効果を一瞬で計測するといった実験が行われています。強い光を当てるとまず電子がエネルギーを受け取って電子の温度が上昇しますが、電子が散乱する際にスピンを反転させる確率が非常に高い場合には、磁化も高速に変化します。これは超高速消磁と呼ばれています。ただし、光照射後に観測された実験結果が「本当に磁化の変化を表しているのか」には注意が必要です。仮に磁化が一切変化しなくても、電子温度が上昇するだけで磁気光学カー効果の信号は変化するためです。本研究では、Mn3Snの特異な相転移を利用して、1ピコ秒以下の時間スケールでは電子の温度上昇によって異常ホール効果が決まること、数ピコ秒経って電子の温度が冷えてから磁化の変化によって異常ホール効果が決まることを明確に分離して示すことに成功しました。
(公開日: 2023年03月22日)
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2023-03-21 19:19:17Z
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