何かと実利的な時代、だからこそ。
2月末よりギズモード・ジャパンでスタートしたカメラ特集「さよなら、プロっぽいカメラ:僕らはカメラをこう選ぶ」。この特集では、各メーカーがしのぎを削るデジタルカメラのスペック競争から離れて、自分の感性に向き合ってカメラを選ぶことの楽しさを提案しています。
今回インタビューした写真家/カメラレビュアーのジェットダイスケさんは、そんな感性でカメラを選んでいるユーザーの一人。2018年にはレンジファインダーカメラの「ライカM10-P」を購入しました。ジェットさんと言えば、キヤノンの一眼レフやソニーの「α99」「α7」シリーズなどのレビュー動画を多数あげており、いわば“プロっぽいカメラ”でおなじみでしたが、なぜクラシカルなM型ライカを選んだのでしょうか?
その理由を聞いていくうちに、今の日本のメーカーが抱えている「スペックのこと言い過ぎ」問題や、プリミティブなカメラの楽しみ方を考えるヒントがありました。
国産メーカーへのカウンターとして買ったライカ
── M型ライカといえば、多くのカメラユーザーがいつか欲しいと思っている「憧れの存在」ではありますが、MF専用という理由で「別腹」とされています。今までプロっぽいカメラを使ってきたジェットさんが、なぜM型ライカを選んだのでしょうか?
やっぱりライカって、避けて通れないカメラなんだろうと。カメラについて喋っていると、どうしてもクラシカルなスタイルのカメラに行き着くんじゃないかなと思うんですよ。それは人によっては古いニコンなのかもしれないですが、そういう手合いの総本山がライカなのかなと。
── なぜそこで古いニコンではなくライカだったのですか?
今のカメラは、デジタル機器のなかでも最新の技術を背負っているじゃないですか。だからカメラは最新のものがいいと思ってきたんですが、M型ライカのことを調べるとどうも日本のメーカーが作っているものと違う方向なわけですよ。
たとえば電動カッターとか電動のこぎりを作っているのが日本メーカーで、すごく切れる包丁を真面目に作っているのがライカという印象。だからライカに電子機器的な高機能を求めても仕方ないので、いっぺん飛び込んでみようと思い買いました。
── 最終的には感性に引っかかるものがあったということでしょうか?
そうですね。日本のメーカーって、どうしてもプロモーションにプロの写真家さんを起用するじゃないですか。ところが生業として写真を撮ってらっしゃる方って、最終的には効率が重要になってくるでしょう。それは至って普通のことなんですが、そうなると褒めるところが「機能」になってくるんですよ。
まさに瞳AFはその一つです。瞳AFがあることで被写界深度に気を配れるだとか、表情に気を配れるだとか、そういった余地はどんどん増えていきます。しかし、僕は瞳AFを「サジタリウスの矢」によく例えるんですが、絶対に当たるものに頼ってしまうことは決して写真の「面白み」には貢献しないと思うんです。というのも、僕がむかし撮っていた写真は意図的にピントを外すこともあったんですよ。本来ピントってミリ単位で外せるんですが、瞳AFに慣れきっちゃうとそういった撮影法すら考えなくなってくるので、それは写真を撮る面白みが欠ける気がしています。
── 面白さと効率性は別ということですね。
ただ、ここで言いたいことは、効率性を重視するあまりに機能一辺倒になってしまうことにどうかと思うわけですね。
たとえば最近だと、F1.2とかF1.4の大口径レンズの開放でもちゃんと目に合焦するようになってきたわけですよ。撮る方からすればそれは楽しいことだと思うんですが、何度も繰り返し使ったり、みんながそれを真似する流れに対して僕は疑問がありますね。もう少し何をどう撮りたいのか考えて撮ってみてもいいんじゃないかなという気がします。
面白かったのは、このまえ野鳥を撮ってらっしゃる方に「ダイスケさん、ピントのチェックってどうやって見ていますか?」って聞かれて。「いや、合ってればそれでいいんじゃないか?」って答えたんですが、その方はパソコンで等倍にして見ているそうです。そして、等倍で確認して少しでも合焦していなかったら「僕は捨てますね」っておっしゃっていたんですよ(笑)。それは、昔だったらないんです。はっきり言って出力サイズさえ決まってれば、多少のぶれやピンぼけが許容できる範囲が決まるので。だからそもそも想定した出し先がないんだと思いました。
つまり、今の日本のメーカーはAFがばっちりくるとか、機能性のことを言い過ぎなんですよ。最新性能のマーケティングとして見せつけるためには効果的ですが、それがユーザーをあまり良くない方向に導いている部分もある気はしますね。
ライカを使っていると「バチピン」を気にしなくなる
── そんなライカを使っているうえで意外だったことはありますか?
M型に関してはそんなにないですね。レンジファインダーカメラを2020年にこの状態に持ってきているのは、単純に意義深いですね。一方で「ライカSL2」に関していえば、期待度が高いです。
この前、Lマウント(ライカSLシリーズが採用しているマウント)レンズの開発責任者・ピーター・カルベさんのお話を聞きに行ったんです。いわく、ライカが作っているLマウントレンズは1億画素に対応できるそうなんです。全部じゃないかもしれないですが。
そもそもライカってスナップのカメラなので、スナップの性質上、撮ったものを見返すと寄り切れてなかったりします。だから1億画素の時代が来れば、トリミングで画角を調整すればいいじゃないかとカルベ氏は言っているんですね。これはすごく大事な考え方なんですよ。
── ライカがポストプロダクションの話をするのは意外ですね。
最近の教本って「構図はこうするのが最適です」みたいな話ばっかりで、タイミングの話なんてほとんど出てきません。でも写真って構図をどうするかというより、タイミングなんですよ。その瞬間を撮らないと意味がないわけです。だから撮るタイミングに集中して、構図は後から調整が効くようにしましょうとカルベ氏は言っているわけですね。
富士フイルムの「フィルターレンズ」って知ってますか? Xマウントのトイレンズのようなものなんですが、これ、絞りがF8固定なんですよ。そして、びっくりすることにピントも固定。だから「写ルンです」と似ていますよね。
つまりこの製品って、奥深く深度を取ってるからピントを合わせる必要がない。もはやAF速度が速い以前ですよ。合わせる必要がないんだったらフォーカシングは最速。結局パンフォーカスにしておくってことはそういうなんですよね。だからライカユーザーで有名なアンリ・カルティエ=ブレッソンの話でよく出てくる設定って、50ミリ、F8、SS125分の1、ISO100、ピント5メートル。AFのない時代に、速写性、つまりタイミングがいかに大事だったのかがわかります。
とはいえM型ライカ、最初は苦労しましたよ。レンジファインダーとはいえバチピンで来てほしいので(笑)。
── ジェットさんも最初はライカM10-Pでバチピンで合わせようとしていたんですね。
はい。そういうものだと思っていましたし、ライカでバチピンで撮るとすごく綺麗なんですよ。レンズによっては、ぼけがすごく早く始まるものもありますし、現行のライカのMマウントレンズは、開放でもっとも性能を発揮するように設計されていると先述のカルベ氏に聞いたことがあります。「性能を発揮する」ということは、おそらく「解像する」という意味なのでやはりピントを合わせたい。
ところがレンジファインダーカメラなので、そもそも焦点距離75ミリ以上になるとブライトフレームが小さいし視差が大きい。そうしたら使うレンズってせいぜい3本ですよ。28ミリ、35ミリ、50ミリ。ところが28ミリになると、最低70センチだかの撮影距離では被写体がちっさくて見にくいんです。だから今は、ピントにそこまでこだわらなくていいのかなと思っています。
「ライカM10-R」はそれなりに面白いのでは?
── ピントの話でいうと、4000万画素クラスの「ライカM10-R」が出るっていう噂がありますよね。もはやレンジファインダーで4000万画素のピントは合わせられないのでは?という指摘もありますが、ライカが画素数を上げていくことにどういう意味があると感じていますか?
そこなんですよね、本当に。よくライカSL2(4,700万画素)に変換アダプタでMマウントレンズをつけて撮るんですが、ピントを外すと実にきれいなピンぼけが出てくるんですよ。綺麗に出てきたところで「ピンボケ」であることには変わりないんですが、ピントが合わせられなくても、ぼけはぼけとして面白い気はします。たとえば1600万画素くらいで使うのが妥当なオールドレンズを4000万画素クラスのカメラで撮ると、解像するはずだったピクセルが映らないんです。そういう面白さはあると思います。
もし4000万画素クラスでもピントを合わせられるのではあれば、画素数があることに関しては全然いいですね。さっきも言ったように、画素数があれば構図をあとから調整できるし、大きく表示する場合も対応ですから。アナログと違ってデジタルの引き伸ばしは画素を増やすことになっているので、画素数はあったほうがいいと思います。
── ポストプロダクションすることに対して、ジェットさんはネガティブではないんですね。
デジタルカメラなので、必要なときにはどんどん使っていけばいいんじゃないでしょうか。たとえばAFにしても自分の肉眼で確認できない域まで合わせられるし、動画になればそれをトラッキングできたりするわけですから。だから身体能力を超えた部分はテクノロジーに頼らざるを得ないし、使うべきところではどんどん頼っていけばいいと思います。
── 逆にテクノロジーに頼りきったとしても、なお自分に残るものって何だと思いますか?
なんでしょう…。それを探していくことになるのかもしれないですよね。まずそれを見つけるためには、一旦すべてオフにしていけばいいんですよ。僕が『トップをねらえ!』のせりふで好きなのが「まず、全員のオートバランサーを切る! 」。全員のオートバランサーを切るからロボットがふらふらになるんです。それと同じで、まずは手ぶれ補正を切ってみる。そしてISO感度を固定する。どんどん縛りを設けていくと撮ることが面白くなっていく気がしますよ。最終的にはもうカメラって、ダウングレードしていくと思うんですよ。今ひょっとしたら、ソニー「α7 II」くらいのスペックがちょうどいいんじゃないかな。
結局、ジェットさんにとっていい写真って何ですか?
── いまの写真表現って、たとえばミニマルフォトであったり、HDRの風景写真であったり、自分の出自を表すコミュニケーションツールとして機能していますよね。ジェットさんは、これから写真の機能ってどのように変化すると予測しますか?
このあいだ見たツイートですごく面白いのがあって。EDMのDJは「ボタンプッシャー」と呼ばれていますが、ついにDJがパフォーマンス中にワイヤーで吊って飛んだんですよ(笑)。
昔はボタンを押しているだけでも、なんとかしてふりはしてたわけですよ。それが、手を打ったりしている間に明らかにフィルターが回った音がして、だんだんばれてきた。でも飛んだらミキサーも何も触れないわけで、あからさまでいいですよね。
何が言いたいかというと、DJの文化ってすごく先行している気がするんです。僕は「つくらない文化」だと思っていて、仮に曲を作っていない人がやってもDJはクリエーターなんですよ。つまり、作らないことそのものを制作活動として確立してきた。この流れを写真でどう起こすのか、ここに次のヒントがありそうな気がします。
── 具体的にどんな可能性がありそうですか?
たとえば、写真から光源の向きを解析してライティングを変えたり、複数枚の写真から3Dモデリングを立ち上げる「フォトグラメトリ」の技術を使えば、被写体の向きを変えられるわけですよ。そういったテクノロジーを使うことで、旧来的な写真とは違うものができるんじゃないかと。あとは自分がどこで手拍子するかじゃないですかね。つまり、これからテクノロジーによって写真DJが出てくるわけです(ジェットダイスケ注:昔のモノクロ写真にデジタル彩色したり、トーマス・ルフのJPEGシリーズなど兆しは既に多々ある)。
── ここまで、今のカメラメーカーやユーザーを取り巻く状況について意見を伺いました。最後にお聞きしたいのですが、結局ジェットさんにとって「いい写真」とはどんなものですか?
いい写真ですか、難しいですね。分かっていたらみんな撮りたいですから(笑)。でも1つ思うのは、ずっと見ていられるものがいい写真です。似たような意味合いで「1コマの映画」というハッシュタグも数年前から使っていますが、たとえばソファーに腰掛けて、壁に飾ったその1枚を2時間くらい見ていたいと思うかどうか。映画を観ているかのように、時間の経過とともにさまざまな感情が湧き上がってくるようなもの。美術館でいい作品に出会うと長時間眺めるじゃないですか。そういったものがいい写真なんじゃないかな。
── インターネットって、どうしても分かりやすいものが受ける性質はありますよね。そこと、ジェットさんの言ういい写真をどうブリッジさせるか、何か方法はありそうですか?
それがまったく分からないんですよね。まず分かりやすいものが受ける性質は、これはもうしょうがないですね。目利きだけが評価するわけではなくて、全員に「いいねボタン」が行き渡っているわけなので。
ただ「みんながいいと思うものがいいものである」という認識が、無自覚に広まってしまうことはどうかと思います。それを本当にいいって言い続けられるかどうかは難しいですから。そして一方で、自分がいいと思うものに関してマイノリティーになってしまうのは、けっこう深刻だと思っています。これは保護してもらえないマイノリティーなんですよ。
── 芸術性と大衆性って本来は相関がないと思いますが、今はあるように見えてしまいます。
珍しくないものは真似できちゃうので、食べるために芸術をするのであればよほどのことができないと希少性がないですよね。でもそれが今の写真なんです。写真というコンテンツがもう溢れかえってるわけで(笑)。
たとえば同じモデルさんで、同じライティングで、似たような場所で撮る。それを投稿や展示までしちゃう人もいるわけですからね。
── ともすれば写真ってどう売れるのがいいのですかね。
複製が容易にできる性質上、写真って売るのが難しいものだと思うんです。たとえばアンディ・ウォーホルがシルクスクリーンで描いた『マリリン・モンロー』がありますが、ウォーホルの一連の作品って大量生産に意味を見出したアートですよね。だから、ファイルコピーで劣化なく複製できる写真にいまどういう価値をつけるかという課題があるんじゃないでしょうか。
── ジェットさんとしてはどのような売り方が心地よいですか?
たとえば中世なら、お金持ちの貴族が発注して画家が肖像画を描く。そういう関係で芸術家が成り立っていました。ただ、今の資本主義では、昔と比較してお金の余裕がない人からお金を取ることになっているので、それは安くしかできないわけですよ。どうしても資本主義になっちゃうとそういう流れになってきます。だから薄利多売ではなくて、極論ですが、1枚1億円で売りたい想いはありますね。
1億円で10枚を売るのか、1万円で10万枚を売るのか、どちらの売り方が簡単かは人によります。でもパトロンの存在が芸術の文化を影で支えたように、芸術ってそういう面も強いんじゃないですかね。
── それぞれの売り方にアクションの取り方があるというわけですね。
そうですね。薄利多売ならストックフォトで売る方法もあるわけですが、その方法が楽しいかどうかは分からないです。
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2020-04-03 09:00:00Z
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