2020年6月3日に設立60周年を迎えたセガ。
このたび、セガ60周年記念企画としてセガをよく知る人々に、セガはどんな会社なのか、セガをセガたらしめているもの、セガへの愛着について尋ねるインタビューを実施した。
本稿ではアーケードタイトル開発者の吉本昌男氏と大崎誠氏のインタビューをお届けする。
アーケードタイトル開発者が語る、セガ挑戦の歴史
セガはアーケードゲームにおいても、斬新なアイデアや時代を先取る技術をいち早く投入。我々に衝撃を与え続けてきた。
今回インタビューさせていただいたのは、言わばその仕掛け人と言っていいおふたりだ。挑戦の歴史の裏側で、いったいどんなことが起きていたのか。歴史の証人たちが重い口を開いた……!
吉本昌男 氏(よしもと まさお)
1987年入社。メカトロのプロフェッショナルとして『R360』や『UFOキャッチャー』、各種メダルゲームなどの開発に携わる。現在は、筐体開発のリーダー的存在。(文中は吉本)
大崎誠 氏(おおさき まこと)
1993年入社。AM2研で『バーチャファイター』シリーズや『デイトナUSA』などの開発に参加。『初音ミクProject DIVA Arcade』のプロデューサーとしても知られる。(文中は大崎)
エレメカの時代から技術に対しては貪欲だった
――セガを語るうえで、やはり“挑戦”というキーワードは避けて通れません。限りなく現場に近い目線でアーケードを見続けてきたおふたりの印象としてはいかがでしょうか?
吉本技術部の目線で見ても、やはり最新技術を投入するのは早い会社だったと思います。たとえば、レーザーディスクを初めて使ったのが『アストロンベルト』(※1)なんですが、稼働は1983年ですからね。
――1983年といえば、カラオケがようやくレーザーディスクになり始めたころですか。当然開発はもっと前から進んでいるわけで……早いですね。
吉本そうなんですよ。ビデオゲーム以前から、技術に対しては貪欲な会社だったと思います。それこそ、レーザーディスク以前のカラオケで主流だった、8トラック(※2)のテープで音を出すようなこともやっていて。
――ほうほう。
吉本1968年に稼働した『MOTOPOLO』というバイクを走らせるエレメカがあったんですが。
大崎筐体内で動くバイクを使ってピンポン球を弾いて遊ぶという、エアホッケーにちょっと近いようなゲームですね。
吉本それにはもう8トラックが搭載されていて、収録した走行音をゲーム中にループで再生するようなことをやっていました。
――資料によると、8トラックは1965年に開発されたようなので、当時の最新技術ですね。
吉本どうも、社風として音への執着は強かったみたいで。ペリスコープの時代ですら、アナログ音源にこだわっていたようです。と言っても、筐体の中でバネをビョーンと叩いて、それの音をマイクで拾い、アンプで増幅して流す……みたいなものですけれど。
――エレメカの時代からそんなことをしていたんですね! 大崎さんは挑戦というと、どんなことを思い出されますか。
大崎そもそも、ゲームの企画からして、当時はスピード感が違ったイメージですね。『アフターバーナー』は、当時流行していた映画『トップガン』(※3)にインスパイアされて作っているゲームだと思うんですけれど。『トップガン』が1986年末公開なのに、なんで『アフターバーナー』が1987年に出てるの? みたいな(笑)。
吉本1年で、大型可動筐体まで作って出すって、えげつないですよね。
――確かに(笑)。すごい速度感です。
吉本『ハングオン』ができたのも、当時GP500(※4)というレースがすごく盛り上がっていた影響は確実にあって。当たり前ですけど、そういう世の中の動きに敏感に反応していましたね。
※2【8トラック】……おもに音楽データをステレオ再生するために用いられた磁気テープメディア。いわゆるカセットテープよりもかなりサイズが大きかった。
※3【『トップガン』】……トム・クルーズ主演の航空アクション映画。日本では1986年末に公開され、大ヒットを記録した。カワサキのバイクGPZ900Rや、MA-1を筆頭としたフライトジャケットの認知度を高めた作品としても有名。
※4:【GP500】……世界最高峰のバイクレース、ロードレース世界選手権のこと。現在はレギュレーションと名称が変わり、MotoGPとして開催されている。
異常なまでの新しいモノ好きだったアーケード開発 新技術があればムリヤリにでも使いたがった
伝説の筐体R360の開発秘話
――体感ゲームを得意とするセガの、ひとつの到達点としてR360筐体がありました。これについての思い出は何かありますか?
吉本R360は思い入れがありますね。最初、鈴木久司(※5)さんに「オーストラリアにグルグル回る機械があるらしいから見てこい!」って言われて、現地に飛んだのが始まりでした。
――なるほど。その機構を筐体に落とし込んで作っていったわけですね?
吉本もちろんひと筋縄ではいかなくて。ふたつのリングに電源を供給して無限に回転できるようにしなければならないんですが、そんなものはなかなかないわけで。いろいろな部品を探しまして、結果的に軍事用のレーダーの部品をカスタマイズして使うことになりました(笑)。
――とんでもない入手先ですね(笑)。
吉本あと、R360には20インチのブラウン管のモニターが使われているんですが、これにメーカーの保証がつかないんですよ。
大崎当たり前なんですが、グルグル回すことなんて想定されてないですからね。
――それは保証外になりますよねえ(笑)。
吉本緊急停止装置のことも考えると、最大で3Gくらいの力がモニターにかかるんです。 結果どうなるかというと……壊れるんですよ。
大崎まあ、そうですよね。
吉本いちおうメーカーに「回すとどこが壊れやすいですか?」と聞いてはみるんですが、もちろん答えなんて返ってこない。そこで、実際に試作機にモニターをつけて実験し、何台もモニターを壊しながら、弱いパーツをこちらで補強していくという作業をしていました。
――ムチャクチャですね(笑)。
吉本意外な発見だったのは、ブラウン管は地磁気の影響を受けるので、回すとモニターが真っ赤になったり真っ青になったりすることですね。技術者からすると、言われてみれば納得なのですが、実際に回すまで気づかなかった。
――はー!
吉本ただ、“デマグ(※6)”というボタンを押せば、一時的にリセットがかかって色変化を防げるんです。でも……R360って、永久に回り続ける機構じゃないですか。「これはどうしたもんかな?」なんて考えていたら、開発に追われて寝てないようなヤツが「動いているあいだはずっとデマグすればいいんじゃない?」なんて言い出すんですよ。
――寝ていない人の明けがたのテンションで?
吉本ええ。そんなことができるのかと思って試してみたら、案外いけそうだぞ、と。そんなこんなで完成にたどり着いたものの、ものすごい電力を使う機械になってしまって。アーケードゲームで初めて200ボルトの電源を使う筐体になってしまいました。
大崎もはや、エアコンだ(笑)。
※5【鈴木久司氏】……アミューズメント部門の責任者として、セガの黄金時代を支えたレジェンド。『バーチャファイター』の生みの親である鈴木裕氏や、『スーパーモナコGP』などを開発した小口久雄氏らの上司に当たる。
※6【デマグ】……消磁処理のこと。画面表示に際して不必要な磁性を減少、または除去する。当時のブラウン管ゲーム筐体には、デマグボタンが配置されていることが一般的だった。正式名称は“demagnetization”。
新技術を惜しみなく投入! 業務命令も”世界初”
――「当時は最新技術でも、いまや当たり前」みたいなものも多いのではないですか?
吉本たとえば『ダービーオーナーズクラブ』(※7)は、磁気カードにゲームデータを保存することの走りみたいなゲームでしたよね。稼働開始が1999年なので、まだパチンコホールで磁気カードが使われているかどうか……という時代だったと思うんですが。
――確かに、エポックメイキングな仕様でした。
吉本『WORLD CLUB Champion Football』もフラットリーダーが注目されがちですけど、じつは、当時業務用とか産業用と言われているものしかないDLP方式(※8)のプロジェクターをいち早く導入した筐体なんです。世の中的には、DLPのDの字も知らない時代に。
大崎あと、VRもウチは相当早かったです。
吉本ああ、VR-1(※9)。
――ジョイポリスで遊べたゲームですよね?
大崎そうそう。1993年にはすでに開発していたものを見た記憶がありますから。言ってみればスーパーファミコンとメガドライブの時代、3Dって言ったら赤青レンズの眼鏡をかけている時代に、VRのゲームを作っているっていう。
――相変わらず、早すぎたんですね(笑)。
吉本数年前に世間は“VR元年”なんて言っていましたけど、ボクたちからしたら「何年遅れなんだ!」って話ですよ(笑)。
大崎任天堂にいらっしゃった横井軍平さん(※10)の言葉に“枯れた技術の水平思考”というものがありますけど、ウチは完全にその逆(笑)。
――逆軍平(笑)。
大崎異常なまでの新しいモノ好きが、セガのアーケード開発の姿勢でしたね。新技術があったらムリヤリにでも使いたがった。
吉本よく鈴木久司さんに「世界一とか、世界初と言われる何かを積んでいなきゃダメだ!」って言われていましたからね。
大崎そうそう。世界初が業務命令なんだから、ムチャクチャですよ(笑)。
――アハハハハ(笑)。
吉本そして、そんな姿勢で開発を続けていますから、自分たちが世の中と比べて、ものすごく先を歩いていることにぜんぜん気づかないんですよね。
大崎でも、当時大事なのは未来感だったから。
吉本まあ、そうですね。当時は未来感だけでインカムが入った時代でしたから(笑)。
――いまは新技術がそう簡単に出てこない時代かもしれませんが、また当時と同じように未来感を見せていただけると期待しています!
※7『ダービーオーナーズクラブ』……アーケードでヒットした競走馬育成シミュレーションゲーム。自身の馬を調教し、レースに挑戦。成長が鈍化した馬は種牡馬にすることもできた。複数のサテライト筐体を並べてひとつの大型筐体の形を取った最初のゲームでもある。
※8:【DLP方式】それまで主流だった当時の液晶方式とは異なり、コントラストが高く、高精細な画像を表示できる方式。いまでは家庭用プロジェクターでも主流になっているが、当時は最新だった。
※9:【VR-1】……ヘッドマウントディスプレイを装着して可動シートに乗り込む、8人乗りのシューティングライドアトラクション。視界内の360度全方位がCG映像で作られており、乗り物とディスプレイの画面が連動。視線を照準代わりにして敵の撃墜を狙うゲームだった。
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2020-06-28 03:00:00Z
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