広報にまつわる人との接し方を中心に、たくさんの失敗と格別な体験を時事ネタ交えつつお伝えしていく本連載。7回目となる今回はキャラクタービジネスの難しさについてです。一度は成功したかに見えましたが……。
こんにちは。前回は、それまで簡単にできるんじゃないかと思っていた広報活動が実はとても手間と時間がかかるうえ、地道にやらなければいけない仕事であることに気づき、週刊アスキーさんから洗礼を受けたというお話をさせていただきました。もちろん、ちゃんとやればちゃんと返ってくるということを教えてくれたのも週刊アスキーさんだったわけです。
この頃は仕事の進め方もわかってきて、地道ながら日々編集者と会い、昼も夜も教わることの方が多かった時期。それでもやはり「商品」しだいな部分はあると思うのですが、そういう意味でまさに広報の力が試される「商品」が投入されることになるのです。
やりたいことを無限に
日々の業務がメディアとの仕事になり、対応する媒体社の数もどんどん増えてきました。雑誌市場も超成長期にあったこともあり、まだまだ新創刊が多かった時代です。パソコン専門誌、一般情報誌、一般誌、女性誌とどんどんと拡がって行きます。
その中でも女性誌へキャラバン(商品を持って編集部へ商品紹介をしに行く事をキャラバンと言っていました。いろいろな編集部を回っていく活動の事で新商品発表の1か月くらい前にこの活動することで、発表日に合わせて記事を執筆してもらうのです)に行くときはポジティブな気持ちも落ち気味で、毎回「よしっ」と気合を入れて編集部の扉を叩いたものでした。女性誌と言っても幅が広くターゲット読者層も様々です。同じ年代をターゲットにしていてもファッションがメインとかコスメがメインとか、私にはよくわからないけれど要は「何のために読むかが違う」ということで「興味のない記事は見ない」と、そういわれているようでした。
それでも、プリシェの経験もあり、またパソコンブームでもあったのでPCの特集を行うことが稀にあり、新規開拓として女性誌はとてもやりがいがある媒体ジャンルでした。ただ、そこに至る商品紹介のキャラバン活動は本当に悩ましいもの。現在では、編集部に行くよりも記者さんに来てもらって商品を説明するということが多くなったようですが、当時は一貫してすべての編集部に訪問して説明するようにしていました。
来てもらうのと行くのはまったく違います。編集部に行く事で、「わざわざ話を聞きにメーカーまでは行けないけれど、来てくれるなら顔を出そうかな」という人の中に将来のFMVファンが生まれるものです。一人でも多くの接触を求めるためにキャラバン活動は必須となっていました。
女性誌の編集部にも男性編集者がいてガジェットに結構詳しい人だったり、女性編集者でもグッズやライフ担当の詳しい方がいたりするとまあまあ話は通じるのですが、PCとは全く無縁の編集者も多く、当たり前のことですが、「基本パソコンに興味ないんだけれど」という人が多かったと思います。
それでも広報としては少しでも多くの媒体に、そして、今まで興味がなかった層への訴求をやらねばいけない。そう自分に気合を入れてチャレンジを試みますが、同じ出版社の情報誌の編集者を通じて同じ出版社の女性誌編集部にキャラバンの約束を取り付けもらうことが多く、相手からの申し出というわけでもなく押しかけ感が多少あり、とにかくキャラバンが盛り上がらなくて困りました。とても寒いです。真夏でも。
そもそも参加してくださる編集者さんも「パソコンのキャラバンが来るから話聞いてきてよ」程度に言われての人も多く、格別にお得なでもなく、プレゼント企画でもない「こんな最新スペックのPCがでましたよ」と話されたところでまったく心を打たれることはないのです。
しかも、日々激務である編集者にとって、何のことかよくわからないCPUの話や、当時のWindows 98がWindows Meになります、なんて言われても「それ何?」というレベルなのが説明していても伝わってきます。眠くなるのもわかります。質問はありますか? と聞いても「話している事すべてがわからないんですが」という声が聞こえてきそうな時も。「すみません、あなたの言っている言葉が分からないんですけれど」ということかもしれないと思いました。そうなんです。そこが肝でした。
伝える言語は一つではないと気付いて
キャラバンで使用する紹介資料は、より詳しく、より正確にを主旨に作られるため、パソコン専門誌の編集者には良く伝わっても、パソコン市場に詳しくない人にはまったく意味が分からない単語の羅列に見えてしまいます。特に開発コードネームを多用する業界にとって「シルバーレイクって? 行ったことないよ」という感じです。そこで気づいたのです。どこに行っても同じことをしゃべるのが当たり前なキャラバンスタイルは「編集者目線でない」ことに。
ですが、それには言い訳もありました。こういった新商品の紹介資料は商品企画部門が作り、それを持って編集部へ説明に行く、というのが通例でした。この商品企画から出てくるものが、営業部門にも回り、店頭向けに必要な情報がアレンジされ、商談会資料などになっていくのですが、メディア向けには商品企画が作成したものをほぼそのまま使っていました。そこには勝手に書き換えたりしてはいけないという暗黙のルールがあったのかもしれません。
とはいえ場合によっては、そのまま説明してもただ長いわけのわからない呪文を唱えるお坊さん状況になってしまいます。それでは相手の気持ちを掴むことができない事を痛感していたので、ある時からこっそりと説明資料を書き換えるようになりました。商品開発には申し訳ないのでそのまま使っているというテイで、ひそかにコピーする形で。
全部で40ページくらいある商品紹介資料を、半分以下にして、CPUのクロック数などの話は全部カット。マザーボードの構造がこうなったから熱がどうのこうの的な話もカット。水冷を出した時には、水冷の部品ではなく、水冷のスポーツカーで水冷の良さを説明しました。販売価格の「〇〇円前後」とか「〇〇円弱」とかまどろっこしい言い方はやめてストレートに「〇〇円」と。資料も定番カットはイメージが伝わりにくいので、カタログカットをコピーして「たのしく見ることができる」資料にしました。そうすることでパソコンのある生活のイメージを伝えることができたのではと思います。
また、説明会の冒頭や終わりに前の商戦期の話や市場動向、他社製品との比較などを話すのですが、「自分で使ってみたけれど、こんなところがよかった。」と言った具合にシンプルかつ、まるで友達と喫茶店で話しているようにしました。
さらには話し方自体も変えました。敬語一辺倒のビジネストークではなくフレンドリーに。メーカーの技術説明員ではなくてパソコンの事を教えてくれる親切な人になった口調で優しく話すようにしたのです。あと苦手だった「笑顔で」話すことも重要でした。これはかなり重要でした。
キャラバンでは専門誌、情報誌、一般誌、女性誌という順番で編集部訪問をして回っていたのですが、ほぼ4ジャンルそれぞれのバージョンで資料を作りました。女性誌向けの資料が仕上がるころにはまったく別物とも言えるような出来栄えになることも多く、専門誌向けがスペックを記載した総合カタログとすれば、最後の女性誌ではペラ1枚のチラシ的な要素に。極力シンプルに、ポイントのみに絞り、「技術よりも使われ方」を。
その結果、キャラバンを重ねていくうちに女性誌への訪問も苦手ではなくなりました。その頃、主婦の友社に良く行ったのですが、たくさんの記事を書いてもらえたのはもちろん、編集部に行くこと自体が癒されに行くような感じに。そして、行くたびに編集者さんからパソコンの使い方やトラブル相談を受けるなど、お助けマン的な事もするようになりました。それはそれでとても楽しかったのです。
禁断のキャラクターPCに手を付けたころ
そんな女性誌でのヒアリングでは必ずと言ってよいほど「キャラクターの入った可愛いPCがほしい」という要望を聞かされていました。プリシェをはじめとした女性ターゲットのPCもかなり増えてきましたころではありましたが、それらは日経WOMANに代表される女性ビジネス誌の領域で「できる女のパソコン活用」が中心だったのです。
そんな中、サンリオさんに「ハローキティパソコンを作りたい」と持ちかけたのです。当時かなり懇意にさせてもらっており、大分の「サンリオハーモニーランド」でのイベントでも、早くからプレインストールしていた「サンリオタイニーパーク」というアプリの紹介イベントなどを行っていた仲でした。
このコラボでターゲットとなったマシンは当時のA5サイズノートPC「FMV-BIBLO NCIII13D」。これをベースモデルとしました。本体をピンクに塗装し、天板の中心にハローキティをデザイン。壁紙やスクリーンセーバーにもハローキティがちりばめられている特別仕様モデルは、24万円程度の価格での市場投入が決まったのです。
ロイヤリティや保守部品の事、キャラクターに関するレギュレーションの厳しさは、世界で大ヒットを連発しているコンテンツとして当然敷居が高く、また、キャラクターの天板印刷については、その精度や耐久性についても非常に厳しいチェックがありました。それだけでなく、社内的にも部材の確保や、コスト面、本当に売れるのか? など、事業部からは否定的な意見の方が圧倒的に多く、本当にできるのかと躊躇する場面がいくつもあったのです。しかし、一番の課題だった天板印刷技術についてはサンリオさんの基準にあった印刷を京都の大手印刷所で行えることがわかりました。実際にサンプルを刷ってもらうと完璧です。とても美しく仕上がり、それが決め手でGOサインが出たのでした。
基本がGOとなると、あとは実際に納期の交渉です。悩ましかったのが、通常製品サイクルには間に合わないため、1商戦期前のスペックになってしまう事でした。そこは何とか遅れを1商戦以内にするということで合意。また、当時はオンラインでの販売がまだまだ主流ではありませんでしたが、特別なモデルでありターゲットも特別なターゲット層に訴求をするために、全国の店頭に並べることをせず、販売方法は通信販売とサンリオショップのみとしました。今ではネット販売のみのモデルは当たり前のようにありますが、当時は店頭で売ることが主流でしたので、かなり説明に時間を要した気がします。
ようやくここまで準備ができた後、広報の方法について担当者が集まり議論を重ねます。夢のある素晴らしい商品ですが、まだまだパソコンは特別なものであり、そう簡単にどこでも紹介してくれわけではない時代。そこで以前からキャラバンを続けてきた集英社さんのJJ編集部にダメもとで提案にいきました。いわゆる広告ではありませんので、「この商品を紹介してください」と言う感じの飛び込みになるわけです。インフォメーションコーナーに商品を少し載せてもらっても効果は期待できません。ちゃんと記事として扱っていただかなければ……。
そんなこんなで多くのハードルはありましたが、ハローキティを施したパソコンのモックは仕上がりが良く、そのおかげもあって編集者の受けが非常に良く、なんと1/2ページの記事で大きく紹介してくれることに。しかも、なんとその当時のJJナンバーワンと言っていいあのモデルさんが手に持って! 「商品が良いことが広報にとって最大の追い風」をまさに地で行く出来事でした。インパクトと夢のある商品が自らメディアでの露出を獲得してくれたのです。
そして1998年夏、初代ハローキティパソコンを発表。サンリオさんとの共同発表となった1000台限定のこの商品は、割高感があったものの強力なキャラクターのおかげで完売させる事ができました。購入者の中には1人で2台購入するケースも目立っていました。これは想定の域を出ませんが、1台は実際に使い、1台は観賞用としているのではないでしょうか。ともあれ、キャラクタービジネスの強烈さを感じさせられたのです。
2匹目のドジョウはどこに
その成功を知った私たちは当然、第2弾を目指します。「新しい会社を作ろうか」などという話も冗談で出てくるようになり、キャラクター神話に気持ちよく乗っている最中でした。和気藹々ムードで第2弾の商品化を進める中、サンリオさんとのミーティングも初回より本当にスムーズに行うことができ、この企画に派生した様々なプロモーションも浮かび上がってきます。
1000台という台数は決して多い数字ではなかったのですが、最初から自分たちが関わって初めて商品を創りだしたということで、モチベーションが高く保たれていたのです。しかし、その間にも他社から同様のコラボモデルが出てきました。PC本体とのコラボというのは珍しかったのですが、一般消費材やPC周辺機器ではすでに多くのキャラクターグッズが世に出ていました。パソコン本体でも十分にこだわった仕様ができるということが広まったおかげかもしれません。
こういったノウハウビジネスは先行者が成功すれば一気に広がります。それは嬉しくもあり危機感もありました。自社のみの特別感がなくなったことで「パソコンとしての価値」をシビアに問われてしまうからです。そうなると価格に見合うスペックが当然実現しないので、割高感が増してしまいます。それでも勢いに乗っている私たちは「FMV-BIBLO MC/30」をベースモデルとし、翌1999年に30万円弱の価格で商品を投入します。前回同様、妥協したもの作りは避けていたので、今回もきちんと天板印刷を施し、カラーも従来のピンクのハローキティではなく、その年の夏にリリースされたハローキティのブルーアゲハモデルという最新キャラクターを配置しました。
それが唯一「他社との差別化が図れる」と思ったのです。しかし、結果は芳しいものではありませんでした。前回は初ということもあってメディアが取り上げてくれましたが、同等商品が出ている中で特別感は薄れ、結果としてメディアの露出が少なくなってしまい、それは売り上げに直結しました。キャラクタービジネスは非常に繊細。やはり「ハローキティはピンク」という絶対的な条件があったのかもしれません。新しいイメージ作りには時間もお金もかかります。それが分からないパソコン屋であった私たちは「新しいデザイン=売れるだろう」というアナログな想定をして走っていたのでした。
キャラクターの持つ本質とそれを支持するユーザーニーズをよく研究する事。もちろんその意識を持って商品化をしたのですが、結果が全ての世界。売れ行きが良くなければ企画としては失敗なのです。総じて思うのは、こういった企画商品はいくら研究しても答えを出すのが難しいという事です。その時の風もあります。それが大きなうねりを作って販売につながる時もあります。足し算で管理できない商品は本当に難しいと思います。
研究する事よりも、そのキャラクターを好きになることのほうがよほど重要で、PCメーカーの企画者が論理的に考えても、キャラクターの熱烈的なファンの方がキャラクターの魅力を熟知していますよね。マーケティングビジネスの根幹にあるのは「商品愛」であることを痛感しました。その精神は必ず多くの経験を携えて先に見える成功の一歩につながると思うのでした。
さて、これと同じ頃、入念な準備を続けていた商品もリリースの時期を迎えます。市場ニーズの分析とマーケティング。コストとビジネスプランを練りに練って開発が続けられていたプロダクトですが、そのお話は次回に。
秋山岳久
PC全盛期とバブル真っ只中からPC事業風雲急時代までPCメーカーで販売促進・広報と、一貫してメディア畑を歩むものの、2019年にそれまでとは全く異なるエンタテイメントの世界へと転身。「広報」と「音楽」と「アジア」をテーマに21世紀のマルコポーロ人生を満喫している。この3つのテーマ共通点は「人が全て」。夢は日本を広報する事。齢55を超えても一歩ずつこの夢に向かい詰めている現在進行形。
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2020-09-24 21:50:26Z
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