昨日の友は、今日の敵。
PS4用ソフト『The Last of Us Part II(ザ・ラスト・オブ・アスパート・ツー)』は、2013年に発売されたPS3専用ソフトThe Last of Usの続編です。
注:本作品はCERO Z、18歳以上を対象とした作品です。
一作目は、「寄生菌のパンデミックから20年後のアメリカ」を舞台にしたサバイバルホラーアクションゲーム。運び屋として生きる主人公ジョエルが、とある依頼を受けたことから、15歳の少女エリーとともに任務遂行のため悪戦苦闘するというストーリーで、世界的に高い評価を受けました。
当初、The Last of Us Part IIは今年の2月に発売予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期になり、6月19日になってようやくリリースされました。7年ぶりの続編の主人公は、前作では守られる立場だった少女エリー。前作から5年後の世界が舞台になっています。
このゲームをひと言であらわすなら、「むずかしい」に尽きます。敵が強すぎる、とか操作がわかりにくい、ということではありません。むしろゲームの操作性は二の次で、とにかく波乱万丈のストーリーに心が乱されるんです…。
このゲームは「悪役になるか、ヒーローになるか」などと、道を選択していくものではありません。プレイヤーは善であり、悪であり、でもどちらでもない…といった感じ。こんなことしたくない! ってことをやらされたり、逆にこれまで積み上げてきたことを達成する瞬間のカタルシスを味わうこともできます。見方によって「すごい深い…」とも思えるし、「何この空しいゲーム」とも感じられるのです。
以下、ネタバレを含みます。
ゲームの結末はネタバレが過ぎるのでここでは伏せますが、ある意味、The Last of Us Part II最大のネタバレは、主要なプレイアブルキャラクターがエリーだけではない、ということです。本ゲーム前半の主人公は、例のゾンビ菌に耐性のある少女エリーなのですが、物語の途中でエリー編はクライマックスを迎えます。それが終わってストーリー後半になると、プレイヤーはアビーというキャラに変わってしまいます。
「え、アビーって誰?」ってなりますよね。アビーは、エリーの保護者にして主要キャラの1人である(しかも前作の主人公)ジョエルを殺害します。そう、ゲーム前半のアビーは敵なんです。むしろ、ラスボス。アビーはエリーにとって、そしてプレイヤーにとっても親の仇。ゲームがすすむにつれ、エリーはアビーの大事な人たちを次々に殺し、最終的に2人は相対することになります。緊張が頂点に達した瞬間、ゲームは突如暗転。画面が真っ黒になります。
やめたくなりました
…ゲームが再開すると、画面の主役は数日前のアビー。「え、俺アビーになったの?」と混乱しますが、そのとおり。ここからプレイヤーはアビーとして生きていくことになり、The Last of Us Part IIはハイギアに突入します。 これまでアビーを見つけて殺すために12、13時間(リアルタイムで)費やしてきたプレイヤーは、ストーリーがこの先どう展開していくか、すでに知っています。でも、今はアビー役なので、なんともやりにくい。アビー嫌いだし、敵だし、かたき討ちしなきゃだし。エリーの旅がどうなるのか、ちゃんと知りたいし。
それでもしばらくは、「まあ、またエリーに戻るっしょ」と余裕で構えているのですが、いつまでたってもアビーのまま。私的には、ここで正直、もうこのゲームやめようかなって思いました。アビーのまま続けても、もう楽しくない…。 そして、そこで気づいたんです。なるほど、そういうことか、と。
「主人公の体験のおぞましさ」をつきつけられる
The Last of Us Part IIには、超えるべき壁があります。単にアビーとしてプレイしなければならない、ということではなく、アビー側の人間としてゲームを進めていく、というところが衝撃何です。アビーとして生きてくと、エリーの壮絶体験が、アビーにとってはさらにおぞましいことだったとわかります。
なぜアビーはジョエルを殺したのか? それは、ジョエルが彼女の父親を殺したから。これまでエリー(つまりプレイヤー自身)が生きるために何度も繰り返してきたイベントの1つです。 今、あなたはアビーの友人やわき役キャラたちと一緒に過ごしていますが、彼らの運命もすでに決まっています。かつてエリーだったあなたに殺されるんです。彼らはいいやつらなんです。優しくて、若くて。
徐々に、でも確実に、プレイヤーの心は逆サイドに傾いていきます。エリーは間違っていた、と。アビーはいい子です。そんな頃、エリーが再び登場します。なんて、複雑な気持ち。
結局、プレイヤーはアビーとしてエリーと対決することを余儀なくされます。アビーになってからのプレイ時間は約12時間。アビーは正しいと確信したのですが、人の心は一筋縄ではいきません。勝ちたい、勝たなきゃならない勝負がある。でも、負けてもいい…。 イベントが終盤へ向かうにつれ、プレイヤーはエリーとアビーの物語を行ったり来たりしつつ、宿命の対決と辛い結末へと進んでいきます。
複雑で言いようのない思いを感じる、“楽しい”バイオレンスアクションゲーム
実はThe Last of Usをプレイ中、「あー、これは最後アビーとエリーのどちらかを選ぶパターンか(ドラクエ5的な)」と思い、どっちを選んでも、また選択画面に戻れるようにしっかりセーブしておきました。でも、このゲームにそんな場面は存在しませんでした。選択はすべてゲーム製作者側の手の中にあり、我々もそこで生きていくしかないのです。
両方のストーリーを知ってしまうと、ゲームの流れで、あるキャラを抹殺しなきゃならなくなっても、いつものようにボタンが連打できなくなります。というか、ボタンが押せないかも。でも、やらなきゃやられちゃって、リセットに。
ゲームを終えても苦悩は消えず、この感情はいったいなんだろう…的な思いが頭をループ。こんなことして本当に良かったの? 良くなかったんじゃない? いったい誰が悪かったの? そんなに大事なことだった? 世の中に善人なんているの? 私たちはみんな悪の影なの…?モヤモヤモヤ…。
こんな疑問も感情も、普段の生活にはありません。あくまで、ゲーム。ゲームとはそもそも現実から抜け出すためのもので、現実につながる残酷な窓ではありません。しかし、The Last of Us Part IIはどういうわけか、それを両立してしまいます。複雑で言いようのない思いを感じる、楽しいバイオレンスアクションゲームです。心地よさだけではありませんが、最終的にやりがいのあるゲームになっています。
エンドロールが流れたころには、いろいろな考えが頭を巡りました。この宇宙で起こり得ること…そしてもちろん、このゲームはいったい何が言いたかったのだろう…ということ。
ゲーム内では、どちらのキャラクターが「正しい」のか、「間違っている」のか、といったことは表現されていません。アビーもエリーも、ひどい目にあいました。2人とも見返りも、しっぺ返しも、ありました。そしてどちらも、束の間であったにしても、いくつかの幸福に出会いました。
興味深いのは、私の中で、あんな思いやこんな思いが頭の中で交錯したのちに、最終的にThe Last of Us Part IIを終えた私は、なんというか「空っぽ」になっていたのです。嬉しくも、悲しくもない。満足もしてないけれど、がっかりもしていない。27時間のプレイ時間が終わったときに、何も望むものがなくなっているんです。
でも、人生って、ときどきそういうことありますよね。ハッピーエンドとバッドエンド以外にも終わり方はある。善人と悪人をはっきり線引きすることはできません。人生は時に、グレー以外の何色でもないことがあります。もしこんな人生の教訓をゲームが与えてくれるなら、これはすごいことです。終わったばかりだけど、もう一回プレイしちゃおうかな。
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2020-07-02 14:01:50Z
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